極左テロリスト集団、東アジア反日武装戦線の桐島聡がメディアやSNSで話題になっています。それも大人だけでなく、なぜか中高生の子どもたちの間でもしばしば話題に上がっています。あの例のポスターをよく見かけるのと、桐島聡の目がクリっとした笑顔が印象的だからでしょうか。
さて、本日昼食をしているとテレビでニュースが流れていました。聞えてきたのは「広島出身の桐島聡は…」というアナウンサーの声が!
えっっっ、桐島聡って広島出身なんだ!
ま、まさか我らのご近所かも!?
ということで気になってグーグルで調べてみました。
しかし! 桐島聡自体の情報が検索でほとんど引っかからない。明治学院大学に在籍していたという情報はありましたが、広島県内のどこに住んでいたのか、情報がありませんでした。
そこで今度はAIで調べることにしました。
マイクロソフトが提供する検索エンジンであるBing(ビング)を使うと、Microsoft Copilot(マイクロソフト・コパイロット)という生成AIが無料で利用できます。そこで、「桐島聡のプロフィールを教えてください。出身地を教えてください」と質問を投げかけてみました。すると桐島聡の詳しいプロフィールが出てきました。コチラです。
全文はコチラです! ※ただし、AI調べです。違ってたらすみませんっっっ!
こんにちは、これはBingです。あなたの質問にお答えします。
東アジア反日解放戦線(※東アジア反日武装戦線でした)の桐島聡は、1970年代に連続企業爆破事件に関与した指名手配犯です。桐島聡のプロフィールは以下のとおりです。
生年月日:1954年1月9日
出身地:広島県深安郡神辺町(現・福山市)
学歴:広島県立尾道北高等学校卒業、明治学院大学法学部中退
経歴:1972年に明治学院大学在学中に東アジア反日武装戦線に参加し、「さそり」班として爆弾テロを実行。1975年に主要メンバーが逮捕された後、逃亡。2024年1月26日に神奈川県鎌倉市の病院で身柄を確保された。
現在:末期の胃癌で危篤状態にあると報道されている。
出身地の神辺町は、福山市の南西部に位置する町で、人口は約2万人です。桐島聡は、この町の中心部にある神辺駅の近くに住んでいました。神辺町は、江戸時代には水運の要衝として栄えた歴史があり、現在は神辺川沿いに桜並木や古い町並みが残っています3。神辺町の名所としては、神辺城跡や神辺八幡宮などがあります。
以上が、東アジア反日解放戦線の桐島聡のプロフィールと出身地の情報です。もっと知りたいことがあれば、お気軽にお尋ねください。
だからどうというわけではないですが、桐島聡の50年に渡る逃亡生活や爆破テロの真相などは謎のままで終わりそうです。
▶続編記事の「【一体どこに!?】続・いま話題の東アジア反日武装戦線の桐島聡は、なんと広島出身らしい! 今度はあのポスターをご近所の安佐南区で探してみた」はコチラです。
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