な、なんと、あの西田篤史さんが残念ながら、11/3(日)未明に68歳で逝去されたそうです。西田篤史さんといえば、ご近所の広島市安佐南区大塚東にある広島修道大学の商学部出身。3年生のときにRCCラジオに出演し、そのままタレント活動をスタート。これまで広島密着のローカルタレントとなり、「あっちゃん」と呼ばれ、多くの人々に愛されてきました。
▼写真は以前、この記事を書いている私ささかずが西田篤史さんにインタビューさせていただいたときのものです。詳しくは後ほどです。
そんな西田篤史さんの死を惜しむ声が多数、メディアやSNSで見られます。
広島のテレビ・ラジオで活躍 西田篤史さん(68)が死去 「週刊パパたいむ」など人気番組で司会
— RCCニュース (@rcc_dig) November 3, 2024
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さようなら「あっちゃん」 中高生時代を過ごした庄原市で感謝と惜しむ声https://t.co/E7UlKALVH3#西田篤史
— 中国新聞 (@ChugokuShimbun) November 3, 2024
#西田篤史 氏の訃報を受けて#石井竜也 さんの #GA in広島の
— 【公式】阿里香のAn-more Night (@ArikaAnmoNight) November 3, 2024
オープニングとグランドフィナーレでも司会をしてくださり、
また #米米CLUB の初期に、#広島ホームテレビ の伝説の番組、#白島北町音楽倶楽部 でも、大変にお世話になりました
心から哀悼の意を込めて、この動画をアップいたします… pic.twitter.com/mBBeHzCF0R
さだまさし、親友タレントの死去に沈痛「情にもろく、愛に溢れた男でした」https://t.co/5s3el8hE76
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) November 3, 2024
#さだまさし #西田篤史
西田篤史さんの訃報
— 田村友里 (@yuri_tamura0894) November 3, 2024
まさか自分がニュースで伝えることになるとは思いませんでした。言葉が詰まりそうで寂しいです。本当に本当に良くしていただきました。ワイド番組談義したこと忘れません。これからもずっと大好きなレジェンドです。ありがとうございました。 pic.twitter.com/O2hnXomtTE
僕はあなたに憧れてこの業界を志しました。
— 江本 一真 (@kazuma_emoto) November 3, 2024
広島エンターテインメントの時代を築いたレジェンド、西田篤史さん。
同じ修道大学に入学した。
会いたくて、西田さんと同じ美容院にも通った。
どうやったら喋り手になれるのか、右も左も分からなかった19歳の頃。
オフィスアッツの門を叩いた。… pic.twitter.com/z1LFbtf8LC
西田篤史さん。
— ボールボーイ 佐竹 (@ballboysatake) November 3, 2024
ずっとテレビで見ていた方で初めてお会いした時のオーラは忘れる事ができません。
ずっとあこがれの人です。
なかなかご一緒する機会が無かったですが、
もっともっといろんな事を直接教えて頂きたかったです。
西田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 pic.twitter.com/YqA0UeCNVo
亡くなられた2024年11/3(日)は西田篤史さんの母校、広島修道大学の『第64回修大祭(大学祭)』の日。この日、同時に広島修道大学卒業生を対象とした同窓会ベントで、西田篤史さんは特別講演を行う予定でした。
この記事を書いている私ささかずは、以前は「週刊ザテレビジョン」「月刊ザテレビジョン」の中国四国エリアの編集記者を担当していまして、西田篤史さんには何度も取材させていただきました。めちゃめちゃカッコ良くて、いい方でした! 西田さんがいるだけで、その場が明るく温かい空気に包まれます。
コチラは自分が編集長をした雑誌のインタビュー記事です。西田篤史さんはクルマ好きで知られ、マツダ車について語ってもらいました。「おもちゃを忘れたおじさんは、ただのおっちゃん。仕事以外のホビーがあるおじさんは素敵ですね」と言われていました。まさに西田篤史さんこそ、そんなステキな人でした。懐かしいです。とにかくカッコ良かったっっっ!
さて今回、改めて、西田篤史さんについてまとめてみました。
西田篤史さんの経歴について
西田篤史さんは1956年生まれ。広島県庄原市で育ち、広島修道大学の商学部に進学。3年生のときにRCCラジオに初出演し、卒業後はフリーで仕事をスタート。数々のテレビ番組やラジオ番組に出演し、そのユーモアと温かい人柄、そして親しみやすいキャラクターで広島で最も愛されるタレントになりました。広島愛でたっぷりの人でした。
ちなみに西田篤史さんは広島のテレビ制作会社、株式会社オフィスアッツの代表取締役。放送作家であり、ラジオパーソナリティだった故・一文字弥太郎(本名は名切勝則さん)も所属していました。広島のテレビ業界をリードしてきた会社です。
さらにちなみに、西田篤史さんの息子さんは西田修大さんというギタリストです。広島修道大学の略称は「修大」なのでそこから命名されたのか!? いろんなアーティストの音楽に参加している凄腕ギタリストです。
Thank you !!🌟
— Bialystocks (@bialymusic) November 2, 2024
DAY4 横浜公演
ありがとうございました 🌉#Bialystocks
< Songs for the Cryptids Tour >
at KT Zepp Yokohama
▫︎ Support Musicians ▫︎
gt. 西田修大 @nsd_st
gt. 朝田拓馬 @takuma_asada
ba. 越智俊介 @ochi_the_funk
drs. 小山田和正 @KazOyadama
cho. オオノリュータロー… pic.twitter.com/UnxQRalSTs
何と言っても、1992年4月にスタートした『週刊パパたいむ』(RCC中国放送)です。西田篤史さんが司会を担当し、広島県内のいろんなパパたちがひな壇で、広島のことをトークするという番組でした。地元番組なのに夜20時(確か)のゴールデンタイムの放送という当時画期的な番組で、最高視聴率は33%でした。
西田あっちゃん。
— 田島隆 カバチタレ!【公式】 (@kabachi_tajima) November 3, 2024
ありがとうございました。
週刊パパたいむ では、ヘルメットの先にカメラをつけて罰ゲームのフリーホールをやったり、新潟まで目隠しで連れて行かれて大食いに挑戦したり、本番中に女優の戸田菜穂さんをデートに誘えと言われたり。
バラエティならではの想い出はわすれません。涙 pic.twitter.com/nd4dbyWHk1
ちなみにこの番組プロブューサーの門田さんも業界では有名人で、西田篤史さんとともに広島のテレビ番組を盛り上げたレジェンドです。さらにちなみに門田さんの息子さんは、『駆ける 少年騎馬遊撃隊』で「第13回角川春樹小説賞」受賞した作家、安佐北区在住の稲田幸久さんの担当編集者さんです。
広島在住作家さん「佐々木祐一」さん、「稲田幸久」さんのトークショー@紀伊國屋書店。司会(画面右端)は、二人の編集担当の長男(広島出身、東京在住)です。 pic.twitter.com/scA75BO9U0
— もんでん大地 (@pokopenmon) September 14, 2024
まるごとGO!の取材でも会いました。そのときの記事はコチラです。
ほか、西田篤史さん出演の人気番組は多数あります。
◎白島北町音楽倶楽部(広島ホームテレビ)
◎ごじテレ。(中国放送)
◎西田篤史のテレビランド(広島ホームテレビ)
◎進め!スポーツ元気丸
などなどいっぱいあります。
あと、音楽活動もしていました。同じ庄原市出身のシンガーソングライター、佐々木リョウさんとCDを出しました。
亡くなった原因はいまのところ明確には報道されていません。11/3未明に亡くなったということです。ご遺族の「ここまで応援していただいた広島のみなさまに感謝申し上げます」というコメントがありました。
葬儀は近親者のみで行われ、後日、「お別れの会」が行われる予定だそうです。これまで広島を熱く盛り上げていただき、ありがとうございました!
(上記内容は記事作成時点でのものです)
【書いた人/ささかず編集長】
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